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版権同人小説ブログ
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其の日、会計委員会は普段よりも静寂に満ちていた。
委員長である潮江文次郎の怒号が無い所為だった。非常に珍しい事態と言って過言では無い。
団蔵は隣に居る佐吉と顔を見合わせて首を傾げた。此れで三度目だ。
相変わらず忙しい上に今日は修正作業も著しく多い。
団蔵達が提出した書類も誤字訂正を言い付けられたが其の声は静かだった。
寧ろ覇気が無いように感じたが団蔵と佐吉からしてみれば上座に座る委員長と病気は結び付かない。
病気の方が彼から走り去って行きそうにも見受ける。
三人しか居ない部屋は筆を走らせる音と紙を捲る音しか聞こえなく返って落ち着かなかった。
突如、文次郎は立ち上がると無言で部屋を出た。
厠にでも出掛けたのだろうと二人が思った直後、ごほっと苦しげな声が上がった。
佐吉が何事かと引戸を開けるなり固まった。
「如何したんだよ……」
団蔵は声を掛けながら佐吉の脇から廊下に視線を移し、絶句した。
廊下の窓から身を乗り出して潮江文次郎が庭へと嘔吐している。
げほげほと咽ると苦しそうに喘ぎながら動く事も出来ず呆然と見詰める一年生を見た。
拙い処を見られたと言いたげな表情を浮かべたが直に掠れた声で
「悪いが、水を持って来てくれ」
と告げた。
団蔵と佐吉は其の言葉で弾かれたかのように踵を返し、先を争って湯呑を取りに戻った。
一足先に手に取った佐吉が文次郎へと駆け寄る。
「み、ず…です」
受け取った文次郎は礼の代わりに佐吉の頭に軽く掌を乗せた。
そして湯呑に入った白湯で丹念に口を漱いだ。
全ての水を庭へと吐き捨てると団蔵が泣きそうな顔で自分の湯呑を差し出した。
「大丈夫ですか?水、足りなかったら注いで来ますっ」
「先輩、医務室に行きますか?保健委員呼んできましょうか?」
「いや……大丈夫だ」
佐吉の頭に乗せていた手で団蔵の頭を撫でると文次郎は口の端に笑みを浮かべた。
だが幼い一年生にも無理矢理笑っているのだと分かる笑みだった。
他の上級生が居ない事も災いした。頼る者の居ない事態に二人の心情は既に限界を迎えていた。
「先輩……潮江先輩っ」
「具合が悪いなら早く医務室に……っ!」
「如何した、ちび共」
文次郎の袖に縋っていた二人が背後の声に振り返ると其処には立花仙蔵の姿があった。
団蔵が事の次第を早口で伝えると仙蔵は大丈夫だと伝えた。
「此れから私が文次郎を医務室に送り届けるから安心して仕事を続けていろ」
漸く頼りになる者が通り掛って呉れたので安堵したが蒼褪めた顔の文次郎が不安で堪らない。
団蔵が佐吉の顔を見ると佐吉は黙って頷いた。
「あの、立花先輩」
佐吉が口を開くと文次郎に肩を貸した仙蔵の視線が向けられた。
「僕達も医務室まで付き添って好いですか?」
其の言葉に仙蔵は眉を顰めた。と言っても気を損ねた訳では無く困った様子だった。
「此れはな……さて、如何するか」
「二人だけで此処に残ると心細いし、其れに心配なんです」
「駄目ですか?」
半ば必死で付き添いを申し出た二人に仙蔵は曖昧な笑みを浮かべる。
「薬を飲めば半日もしないで良くなるから此処に残れ…は、納得出来ないか?」
「はい」
「………あのな、これがこんな状態になったのは授業の一環なんだ」
「仙蔵。余計な事を一年に言うな」
唸るような口調で文次郎が仙蔵の言葉を遮ると仙蔵は嘆息を吐いた。
「なら如何しろと。まあ、好い。私はこれと医務室に行く、お前達は此の侭待機していろ。好いな」
有無を言わせぬ物言いに二人は返す言葉を出せなかった。
仙蔵に肩を借りながら文次郎が歩いていく。廊下の角で曲がったのを見届けると二人は部屋へと戻った。
置いてかれた虚しさと文次郎の状態が重なり気分は重い。
静かな部屋に残され仕方無く席に着くと書き途中の紙に目を通した。
先程まで共に過ごしていたが具合が悪いとは気付けなかった事実が余計に気持ちを暗くした。
「不甲斐無いね……」
ぽつりと漏らすと団蔵は袖口で目を擦った。隣にいる佐吉は唇をきつく噛んで頷いた。
「不甲斐無くなんか無いよ」
優しい声が上がった。見ると不破雷蔵が立っていた。
「其処で立花先輩に頼まれてね。他の会計委員が来るまで一緒に居ろって」
三郎が呼びに行ったからもう大丈夫だよと言うなり、二人の間に割って入った。
「吃驚しただろうけど心配しなくて好いんだよ?潮江先輩はね昨夜から胃の調子が悪かったそうだから、其れでもどしてしまったそうで二人には申し訳無い事をしたと伝言頼まれたんだ」
「本当に大丈夫なんですか?凄く辛そうだったんです」
「潮江先輩に付き添うの駄目だって言われて、それで」
「ああ、あんまり大人数で医務室行くと混雑しちゃうからね。其れに潮江先輩は沢山の人が付いて来たら其れだけで怒りそうじゃない?一人で好い!なんて」
物真似なのか低い声で大袈裟に言う雷蔵に二人の心は幾分和らいだ。
似てないですよと団蔵が笑い声を上げると佐吉もつられて笑うと不破先輩と呼び掛けた。
「立花先輩が授業の一環で具合が悪いって言ってたんですが……あれは?」
其の問いに雷蔵は首を捻った。
「さて、何だろうね?立花先輩の言う事だからなぁ…」
「雷蔵。会計委員連れて来たぞ」
「団蔵!佐吉!」
慌てた様子の田村三木ヱ門の後に鉢屋三郎が姿を現した。
一瞬、三木ヱ門は三郎と雷蔵を見た。二人は促すように視線を一年生へと送った。
「用件は聞いたから今日は代理で俺がお前達の面倒見るからな。取り敢えず、今遣り掛けの書類だけでも終らせるぞ。潮江先輩のは……俺が遣るか」
「田村、後は任せたぞ」
「じゃあね、頑張ってね」
そうして未だ不安そうな表情を浮かべている一年生に別れを告げると三郎と雷蔵は廊下に出た。
会計委員会が使用している部屋から大分離れた処まで行くと三郎が深く息を吐く。
「そりゃあ、一年には言えないよな。授業で毒を飲みましたなんてさ」


其の授業は六年生から開始される。
身体に毒の耐性を作る為に自ら取り入れるのだ。
極少量の毒が抜き打ちで生徒に配布または其の場で体験させられる。
今回の物は事前に嘔吐や下痢を齎すと説明を受けていたが毒には個人差が生じる。
酷い者だと立つのも精一杯になる有り様だ。かと言って特に何の変調も表れない者すら居る。
万が一の事態を想定して学園では毒の授業の際、相方と揃って一定の時刻になったら医務室横に設けられた一室まで出向く事が義務付けられていた。
また此れには下級生の前で無様な姿を見られたくないという最上級生の見栄もある。
仙蔵が其の部屋の戸を開けると既に人がごった返していた。
戸を閉めると此方に気付いたのか七松小平太が手を挙げ、傍へと遣って来た。
「文次郎、駄目か」
「そのようだ。今回のは相性が悪いんだろうな……お前は、元気そうだな」
「此れで五連勝」
自慢そうに告げる相手に仙蔵は化け物だなと呟いた。
「ちゃんと飲んでるんだろうな?お前」
「其れ、新野先生からも言われたけど毒に強いみたい。俺」
「羨ましい限りだ。相方は如何した」
「長次なら薬湯飲んで図書室に戻ってった。仕事が残ってるってさ」
「…………成る程。其れは、凄いな」
「仙蔵!随分、遅いじゃないか。心配したよ」
「伊作」
善法寺伊作は駆け寄るなり仙蔵に肩を借りて訪れた文次郎へを見詰めた。
「文次郎、具合は?」
「二度吐いた」
喋るのも億劫なのか面倒臭そうに文次郎が答えると伊作は奥の部屋に行くよう指示した。
其処は重い症状を出た生徒が横になる場所で気休めで飲まされる薬湯ではなく解毒の薬が与えられる。
仙蔵に変わり小平太が文次郎を部屋へと連れて行く。
「下痢はしてないのかな?文次郎」
「其れはしてないみたいだぞ、来る途中に問い質したからな。其れより一年の前で吐いたのを気にしてる」
「あ……其れは気にするよね。一年生も可哀想だな。心配されたんじゃない?」
「後の始末は不破と鉢屋に頼んで来たから問題無い」
「そうなの?で、仙蔵の具合は?」
顔を覗き込まれた仙蔵は涼しい顔で答えた。
「吐き気が多少する程度だ」
「はい、薬湯行きね。其処にあるから自分で注いで飲んでね」
「お前は?」
「僕?全然、全く無いね。其れより忙しくて嫌になるよ」
じゃあねと伊作が奥の部屋に向かうと仙蔵は薬湯は入った鍋の横に腰を下ろした。
部屋を見回すと伊作の相方、食満留三郎と目が合った。
「よう、遅いな」
「お前等が早過ぎるんだ」
仙蔵は空いてる湯呑に薬湯を注ぐと一口飲んだ。苦い味が舌に広がる。
「不味い」
「薬湯が美味くて如何する。我慢して飲めよ」
「伊作にしろ小平太にしろ、ああも身体に出ないとは恐れ入るな」
仙蔵の言葉に留三郎はまあなと相槌を打った。
「俺からして見れば伊作は元々飲んでいたから耐性が出来上がってるけど七松は…凄いよな」
「偶には此方側に来て欲しいものだ」
「此処で暫く過ごしたら戻るんだろう?作法委員長様は」
「委員会の仕事を重なると委員長は容易に席を外せないから参るな、用具委員長?」
「帰ったら修復作業が待ってるんだよな」
「其れは、御苦労様」
会計は今日中に戻れんだろうな…と仙蔵は肩に受けた文次郎の重さを思い出し心中で呟いた。
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