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版権同人小説ブログ
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己の指先が冷たくなって来ているのに気が付いた。
指先だけでは無い。耳も頬も恐らく髪すらも冷えている。
……秋も其れだけ暮れているのか。
平滝夜叉丸は折り曲げる様に屈んでいた身体を伸ばすと其の侭空を仰ぎ見た。
既に上空の色は夜の帳、詰まりは淡い藍の色をした空が拡がっている。しかし視線を少し移動すれば西には太陽が未だ残っており、まるで夕暮れの残骸にも似た色合いが僅かな光を放ちながら山際へと消え掛けている。
其れとは反対の方向に目を向ければ、其処には真白い月が皓々と光を帯び始めていて自分の真上に比べて濃い藍色の空に幾つかの星まで姿を現し出している。
此処には夕暮れと夜の境があった。
「もうじき、暗くなるな」
闇夜が迫り出す火点し時だというのに学園裏にある薄野原に居るのには訳がある。同じ体育委員会の次屋三之助が居なくなったからだ。
そもそも方向音痴で有名な次屋三之助の姿を見失ったのは、委員会の仕事と称される敷地内の走り込みの最中に起きた。
一年生の皆本金吾も居たので薄野原での小休憩を提案した迄は良かったのだが、不図目を離した隙に何処かへ行ってしまったのだ。直に気付いて慌てて其処彼処を探したが見付からず、委員長の七松小平太と金吾に声を掛けて三人掛かりで捜索する羽目に。
 今度から首に縄でも付けとくか?
見当たらないので滝夜叉丸が苦言を言われるかと思われながらも次屋の事を伝えると七松は冗談交じりにそう言って、笑い声を上げた。
此方の気が楽に成る程の豪快さが滝夜叉丸には眩しかった。
「さてと。もう少し向こうまで行ってみるか」
嘆息を吐くと自分の背丈程に生い茂る薄を掻き分けて踏み進む。冷えた山気が強い風と共に吹き付け薄の穂を揺らして行くとざわざわと薄の波音がやけに耳に残った。
先程見掛けた際は西日を受けた薄野原はまるで海のようで風を受けて波打つ光景は美しかった。今はもう、其の面影すら無い。寧ろ何処か薄気味悪かった。
此の音がいけない、と滝夜叉丸は思った。
薄の穂が揺れ動く音はどうも人を不安な心持ちにさせる。
其れと不安になるのは恐らく一人で行動している所為もある。
誰かと居れば問題無いが一人で居ると如何しても妙な想像をしてしまう。例えば薄を掻き分ける手を見知らぬ手に掴まれるなど。
………………駄目だ、止めよう。
ほっそりとした女の手が薄の間からするりと出て来るのを想像してしまい、滝夜叉丸は首を振ると心の怯えを振り払う為に勢い良く更に分け入る。
すると掻き分けた掌に鋭い痛みが走った。
顔を顰めると西へと掌を翳す。空に残った微かな日の光が掌に出来た赤い傷を照らした。
薄は随分と切れ易いから気を付けろと言われたな。
何となく傷を眺めていると風が吹かないのにざわざわと薄の波音がした。耳を澄ますと音は段々と自分の方へと近付いている。先程の想像が頭を掠めていく。
「次屋、か?」
そんな訳は無いだろうと思いながら声を掛けてみた。
音が止まった。
自分の傍近くに居るというは分かったが音では場所が判別出来ない。前後左右に人の気配は全く感じられなかった。視界に映る薄から目を逸らせない。息を、潜めた。
そういえば、自分以外に次屋の名を呼ぶ声がしていないな。
前方から吹き付ける風が滝夜叉丸の髪を掻き乱ていった。 
ぞわりと背中に悪寒が走り堪らなく怖くなった。此処から去ろうと滝夜叉丸が踵を返すと目前の薄の間から突如、人の腕がにゅうと現われた。
「…………っ!」
口から飛び出そうになった悲鳴は身体を竦める事で辛うじて抑えた。
「滝夜叉丸。其処に居たのか?」
聞き覚えのある暢気な声に緊張した身体が弛緩していく。
薄を分け入って出て来たのは七松だった。
滝夜叉丸は安堵を含んだ息を深く吐くと其の名を呼んだ。
「七松先輩……」
「次屋な、向こうの端で見付かったぞ」
「見付かりましたか」
「向こうの端で」
そう言うなり七松は西の方を指差す。背の高い彼が指し示す方へ目を向ける。
生憎、色彩豊かな西空と薄の穂しか滝夜叉丸には見えなかった。
「ぽつんと立っているのを金吾が見付けたんだ。ま、俺が肩車していたからなんだけどな。其れで今度はお前の場所を金吾に教えて貰って迎えに来た訳」
「あ……有難う御座います」
「如何した?顔が呆けてるぞ」
「いえ別に!」
まさか物の怪か何かだと勘違いしていました等と言えない。
慌てて答えると不意に七松の掌が冷たい滝夜叉丸の頬を包んだ。
「随分と冷えてるな、お前」
温かく大きな掌よりも其の掌が七松小平太の掌だという事に滝夜叉丸は酷く狼狽した。滝夜叉丸は七松に或る類の感情を抱いていた。
其の所為で自身でも顔が赤くなるのが分かった程だ。
「あったかいだろう?」
屈託の無い笑顔が自分に向けられた。
西日が逆光になってくれている御蔭で顔が赤くなっている事は見えていない様子に見受けた。滝夜叉丸は仄かに宿る淡く切ない感情を胸の内に押し込み、平常心を盛り戻そうと努めた。
「せ……先輩の体温が高いだけだと思いますよ。直に夜が来ますから金吾も居る事ですし早く学園に戻りましょう」
「そうだな」
先導に立つと滝夜叉丸は薄という海原を掻き分けて渡る。
平常心平常心と心の中で滝夜叉丸は呟いた。
時折、後ろに続く七松が方向を示すので従い進んでいくと漸く視界が開いた。其処には待ち草臥れた様子の金吾と何時もの飄々としている次屋の姿が現れた。
 
 
次屋三之助が振り返ると訝し気に己の掌を見詰める七松の姿があった。無言で此方も其の様子を見ていると目が合った。
「御疲れ様です。如何かしたんですか?」
「ああ……いや、何だろう。うん、好いか。気の所為だな」
何を考えているか三之助は知っている。
薄の野原から出て来た滝夜叉丸の頬が夕焼けのように赤く染まっていて、其れ以後七松の顔を全く見ようとはしない。委員会が終わると同時に直に寮へと帰ってしまった程だ。
「思い過ごしなんかじゃありませんよ」
そう声を掛けると七松がぎょっとした。
「先輩、其れは事実です」
「……お前、何か知ってるのか?」
 困惑している七松に三之助は笑顔で答えた。
「そりゃあ、毎日見ていれば気付きますよ。誰が誰を好きだなんて事ぐらい。滝夜叉丸先輩の目は何時も貴方の動きを追ってます。けれども先輩の目は」
「分かった!分かったからっ、次屋」
先を言わせない為に七松の掌が三之助の口を塞ぐ。
他に誰も居ないのだから気にしなければ好いものを。案外、臆病なのだろうか?
其れとも此の反応が当然の反応なのだろうか。次屋にはよく分からなかった。
塞がれた手が緩んだので三之助は七松から一歩下がった。
丁寧に一礼すると部屋に戻ろうと歩き出した。声が追い掛けて来る。
「毎日見ていたのか」
振り返ると点された灯り火に因り照らされた七松の、其の複雑な表情が見て取れた。
掛けられた言葉の意味を反芻しながら三之助は眺めた。
「先輩。俺、さっき言ったじゃないですか」
「………………」
「毎日、見てるんです。ずっとね」
「誰をだ?」
疑問というよりは確認したいが為に口にしたのだろう。
三之助は少し笑みを浮かべてみた。逆光に居るので七松からは此方の表情が見えていないだろうが一向に構わなかった。
此の問いに対して簡単に答えるのは癪に障ると思った。
そしてそんな想いを抱く自分は目の前の人物に嫉妬という気持ちを持っているのかもしれない事に漸く気付いた。
多分こうゆうのを纏めて固めて引っ繰り返すと片想いというのだろうな。
俺の感情も意外と複雑に出来てるんだな。
三之助はくるりと背を向けると一言だけ返した。
「先輩が向けている視線を此方に向けて頂ければ、直に分かりますよ」
滝夜叉丸の視線は此方に向かない。向こうともしない。
向かないなら向ける為にと三之助は度々己の姿を晦ましてみる。
そうすると、自分を見付けた瞬間だけは此方を向いてくれると知っているから。

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