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版権同人小説ブログ
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「はい、御土産」
縁側に面した部屋の障子戸を開けながら伊作は中に居た文次郎に向かって柿を投げた。
「良く熟れてるな。如何したんだ、此れ」
受け取った文次郎の横で寝転がっている小平太の声に伊作は
「一年生の集団に其処で会って、皆で取って来た御裾分けで貰ったんだ」
と答えながら仙蔵の隣に腰を下ろした。
「お前さぁどうせ貰うんなら五個貰って来いよ…。一個で五人分かよ」
「え。小平太、君も食べるの?勘定に入れてないけど?」
「…………………」
苦虫を噛んだ様な表情の小平太に仙蔵が笑う。
「六等分にすれば好いさ。余った一つは持って来た伊作に…」
「有難う、仙蔵。じゃあ、宜しく文次郎」
「俺が切るのか……」
「当然の事じゃない」
「当然だな」
伊作と仙蔵の言葉に文次郎は傍に居る長次から小刀を借りると手にした柿を切り分ける。
外に輝く西日の様な色をした皮から雀色の瑞々しい果実が伊作の手に渡された。
口に入れると甘い味が拡がる。
「旨いな。何処の柿なんだ」
「今度会った時にでも聞いとこうか?」
「取りに行ってももう無いんじゃないか。皆で取って来たんだろ?一年」
文次郎の言葉に、そうだなと仙蔵が呟く。
「柿といえば……今年も干してあるのか、渋柿」
吐き出した種を手持ち無沙汰に掌に乗せている小平太が口を開いた。
伊作は誰の事か思い当たり残りの柿を半分口に入れながら答えた。
「仙蔵達の組の奴だっけ?干柿の名人なんだよね?」
「ああ、多分今年も干してるんじゃないのか。なあ?文次郎」
「明日辺り聞いとく。また五人分貰えば好いんだろ」
確認する様に言う文次郎に長次が無言で頷いた。
残りの柿を口に運ぶと伊作は秋ももう終わりだなぁとぼんやり思った。
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暖かい陽射しも既に薄れ太陽は徐々に西へと傾いている。
鼻を啜ると小平太は箒を地面に投げ掌を擦り合わせ満足気に頷いた。
「此れだけあれば充分だな」
足元には落葉の山が築かれ周囲を見渡すと土しか見受けられない。
「お、随分集まったな」
「文次郎。幾つ貰えた?」
横から声が掛かり現れた文次郎に尋ねると文次郎は手にした袋を此方に渡した。
小平太は中身を確認すると不満の声を上げる。
「小さくないかー此れ」
「俺に文句言うなよ。文句は食堂に言えっ」
「……言えるわけないだろ。おばちゃんだぜ」
小平太は袋を抱えると手早く落葉の山に火を付けた。
細い煙が上がったかと思うと赤い炎が蛇の舌の様に落葉から姿を出し、やがて落葉の山は炎に飲み込まれた。
「あっ、たけぇ~」
「あ~」
手を翳し暖を取っていると上から声が降って来た。
「里芋は?」
其の声に文次郎と共に見仰いだ小平太は名前を呼んだ。
「長次」
枝から降り立った長次が小平太の抱えている袋に視線を向けたので取り敢えず小平太は笑顔を浮かべた。
すると長次は悟ったらしく何も聞かず只嘆息を一つ吐いた。
「いやぁ何か落葉集めるのに夢中になっちゃってさーまだなんだ」
「もう入れるか?」
文次郎の言葉に小平太は袋の中から里芋を取り出すと長次が枝で掻き分けた焚火の中へと放り投げた。全て入れると焚火は元へと戻される。
「文次郎…此れってどれくらいで食えるんだっけ?」
「覚えてない」
「おいおい!」
「まあ、焦がさなければ好いんだろ」
「匂いで分かる…はず」
空を見ながら言う長次につられ小平太も目を向けると煙む様に白く広がる雲が夕日に染まり淡い茜色へと変じていた。
其れが山に掛かりまるで山火事が起こっているかの様にも見える。
「空、凄いな~」
小平太の言葉に文次郎が逆の方向を見上げ、うっと声を漏らした。
「星が光り出しているぞ……暗くなる前に出来上がるのか?」
「……………さあ?」
「…………………」
足元でぱちぱちと焚火が小さな声を上げた。
綾部喜八郎が食堂の席に着くと隣に座る平滝夜叉丸が微かな声を上げた。
視線を追うと食堂の入口に最上級生の団体が談笑している。
其の中に立花仙蔵の姿があった。喜八郎は滝夜叉丸が立花仙蔵に対して過剰な程の憧れを抱いているのを入学当初から把握しているので椀に口を付けながら、密やかで重い嘆息を吐いた。
「今日も御美しい……」
目を綺羅綺羅とさせながら滝夜叉丸が言うので喜八郎は危うく味噌汁を吹きそうになった。
ぐっと堪えて飲み込んだが抑えが足りなかったのか、こほと咳をしてしまった。
案の定、其の音で滝夜叉丸の視線が此方に向かった。嫌な展開だと喜八郎は思った。
「お前もそう感じないか?喜八郎」
「え?何が」
先程の言葉など微塵にも届いてませんという態度に徹しようと返したが、運悪く空いてる自分の隣に同じく憧れを抱いている同級生が座った。彼の目線も立花仙蔵を追っていた。
「素敵だなぁ……」
「三木ヱ門。立花先輩の御姿、今日も好いな!」
滝夜叉丸の言葉に好敵手の田村三木ヱ門は大きく頷いた。
「ああ。朝からきちりとしていらっしゃるしな」
「六年生の大半が朝は寝惚け眼で欠伸ばかりしているのに先輩だけは違う」
「寧ろ欠伸をする姿すら一枚の絵のようだ」
……くだらない。
尚も褒めちぎる会話を無視して喜八郎は只管、箸を進めた。
長い滝夜叉丸の口上を聞かずに済んだのは幸いだが此れも此れで最悪だった。
其れに委員会で目にする彼を知っている喜八郎には聊か一つの疑問を抱いている。

朝から身支度が整っているが当人が全てしているのだろうか?と。


其の立花仙蔵の朝は何時も同室の潮江文次郎の声から始まる。
「好い加減に起きないか」
偶に軽く蹴りなど入るが概ね此れを合図に敷き布団を捲り、軽く唸りながら身を起こす。
長い黒髪が視界を覆うので此れ幸いと重くなる瞼に逆らわず目を閉じようとすると文次郎の手が布団を引き剥がしに掛かるので、仕方無く這いずり床へと移動する。
既に身支度を整えた文次郎が自分の布団を片付ける間、仙蔵はぼんやりと其れを眺めるのが日課だ。
未だ眠りの海から浮上しない思考が眺め終る頃に漸く目覚める。
前日に大抵用意されている忍装束に手を伸ばすと仙蔵は盛大な欠伸をしながら寝間着を脱いだ。
何も言わずに文次郎が脱いだ寝間着を畳み部屋の隅に溜まる仙蔵の着替えの上に置いた。
上を羽織ると仙蔵は結い紐を掴んで部屋を出た。
後から続けて出て来た文次郎が上から下まで仙蔵の姿を見ると止まれと呟いた。
素直に足を止めると適当に来ている忍び装束を直していく。
先に食堂へと向かう幾人もの級友の朝の挨拶を文次郎は短い言葉で、仙蔵は手を振り答えた。
其の通り過ぎて行く級友の中に善法寺伊作と食満留三郎が居た。
「御早う。仙蔵、文次郎」
朝からにこりと愛想良く笑い掛ける伊作とは対照的に留三郎は眉間を皺を寄せている。
「今日も相変わらず、だらしない恰好だな。髪は如何した」
仙蔵が結い紐を差し出すと文次郎と留三郎は仙蔵を壁に寄せる。伊作が袂から櫛を留三郎に渡すと手馴れた手付きで仙蔵の髪を櫛を梳き、一つに纏めると結い紐を巻き付ける。
「仙蔵、後で顔を洗いなね。目脂が付いてるよ」
「分かった……」
苦笑する伊作に袖で目を擦りながら返事をすると着付けと髪結いを行なっていた二人が小突いたので仙蔵は歩き出す。後ろでは文次郎と留三郎が委員会絡みや授業内容の話をしている。
其れを耳にしながら隣を歩く伊作の他愛の無い短い会話を行ないながら賑やかな食堂の戸を潜った。
こうして常に立花仙蔵の朝は当人以外の手により身支度が整えられている。
最も寝起きの良くない仙蔵に対して初めの頃は誰も手を貸さなかった。
余りにも改善が行なわれず、酷い恰好なので我慢出来なくなった文次郎と留三郎が口出しから手出しに変え紆余曲折が色々とあり現在の状態に落ち着いた。
既に六年の歳月を迎えている為に同級生の誰もが疑問にすら感じない日常の光景だ。
但し、下級生にだらしない恰好を最上級生として晒すなという事で仙蔵の身支度は常に六年寮の廊下で整えられている。


綾部喜八郎のように疑問視する者や憧れを抱く平滝夜叉丸や田村三木ヱ門達多くの下級生は立花仙蔵の真実の朝を知らない。
其れが潮江文次郎と食満留三郎の二人により成り立っているという事を。



其処に居た誰もが口を開きたくは無かった。
合同授業という名の苛酷な乱取り稽古に心身疲れ果てていたからだ。
校舎から少し離れた壁に背を預けて座り込んだ侭、既に大分経過している。
本来なら「合同授業を終えて」という題名での感想を書いた紙を提出しなければならない。
日陰に移動しようと仙蔵が提案して受け入れたが此処から教職員室は遠かった。
提出の刻限は近い。昼を告げる鐘が鳴り終える迄だ。
しかし、誰一人「行こう」とは言わなかった。
何故ならば一度口にすれば確実に皆の分を持たされる羽目になるからだ。
中在家長次は書き終えた紙を団扇代わりに仰いで超然と構えている。
隣では立花仙蔵と善法寺伊作が寄り掛かり合いながら、互いに自分の相方に無言の視線を向けている。
其の視線を拒絶するかのように仏頂面の潮江文次郎は校舎を睨み付けて居て、横に並ぶ食満留三郎は書き付けた感想に誤字を見付けて顔を顰めている。留三郎の紙を覗き込んだ七松小平太は自分の感想を見比べて余りに書き込まれた感想に驚愕した。
静かな庭の若葉に彩られた木々が薫風を受け、さわさわと葉擦れの音を出す。
何処かで鳥の囀りが響き渡る。
此の緊迫した雰囲気が無ければ何と長閑な事だろうと誰しもが思った瞬間
「……………誰かが代表者で提出して来ないか?」
唐突に長次が皆に話し掛けた。
普段なら有り得ない事態に他の者は一斉に目を見開く。
こうゆう場合において最初に痺れを切らすのは大概、留三郎と小平太其れに文次郎と決まっている。
無口な長次が痺れを切らすのは珍しいが、此れでは「じゃあ、お前が行け」とは言い難い。
何となく長次には逆らえない雰囲気を感じているからだ。
「そうだな。皆の代表者として……文次郎、行ってくれないか」
「断わる」
仙蔵の言葉に文次郎は即答した。
伊作が留三郎に笑顔を向ける。
「留三郎、持ってってくれないかな?」
「ふざけんな」
相方から冷たく断わられた二人は声を揃えて名前を呼んだ。
「小平太!」
「犬呼ぶみたいに呼ぶなよ……。俺だって嫌だぜ」
咽乾いたけど行きたくないと膨れっ面で文句を言い、端に居る自分の相方を見た。
「長次、如何する?阿弥陀籤で決めるか?」
「僕アレ嫌だからね!」
籤で勝ち知らずの伊作が口を尖らせると仙蔵が感想文の紙を摘んだ。
「此れを丸めて投げて飛距離を競うか」
「ま・る・め・る・な。此れは大事な提出物だ」
「馬鹿馬鹿しいから丸めたい。大体乱取り稽古の感想って何だ?」
「俺が知るか。自分の反省と他人への注意点でも書け」
文次郎はそう言うと留三郎の紙を取り上げた。
「此れを手本にしとけ。呆れるくらい細かく書いてるぞ」
「おっ前、返せよ!」
抗議の声を上げたが既に伊作経由で仙蔵の手元に運ばれていた。
仙蔵は目を通し終えると気の毒そうに留三郎を見た。
「留三郎、字数が多ければ採点が上がる訳では無いぞ」
「略白紙のお前が言うな。伊作、立花は何て書いたんだ」
「えっとね……」
仙蔵の紙を掴み取ると伊作は堪えきれないとばかりに噴出した。
「ちょ、此れ本当に提出する気?」
「他に書く事は無い」
「きょうはみんなとてもたのしそうでした。わたしは13人とてあわせをしてぜんぶかちました。しおえもんじろうは16人とてあわせをして2人にまけて3人とけっちゃくがつきませんでした。かわいそうだなとおもいました」
「丸めて捨てて遣る!そんな感想」
文次郎の手が伸びる前に仙蔵が伊作から紙を取り上げて懐へと仕舞った。
「此れは大事な提出物なんだろう?文次郎」
「内容次第だ」
と其処へ賑やかな声が聞こえたので校舎に目を向けると渡り廊下に1年は組の生徒が歩いていた。
幾人かの生徒が此方に気付いて顔を向けている。
すると長次が手を上げると足を止めた中に居る図書委員のきり丸に手招きをした。
何すか?と言いながらきり丸が歩き始めると立て続けに声を上がった。
「兵太夫」
「乱太郎、おいでっ」
「団蔵。一寸、来い」
「しんべヱ!喜三太!集合しろ」
呼ばれた1年生は呼ばれた意味が分からぬといった表情でわらわらと動き出した。
駆けて来る者など全くおらず喋りながら非常に遅い歩みで遣って来る。
其れを真剣な面持ちで固唾を飲んで6年生は見守った。
自分の元に1年が一番遅く来た者の負けだという勝負が開始されたのだ。
只一人、其の1年生が未だ姿を現していない小平太に留三郎と文次郎が声を掛けた。
「大丈夫か?お前のとこ。まだ来てないだろ」
「此の侭だと確実に負けるぞ」
其の言葉に小平太は返事をせず体育委員の金吾が現われるのを待った。
学級委員の少年と談笑している金吾の姿を視界に捕らえるなり、小平太は大声で呼んだ。
「金吾ーっ!」
鉢屋三郎が傷の手当てを受けていると突然乱暴に戸が開け放たれ立花仙蔵が駆け込んで来るなり、自分の前に座っている保健委員長善法寺伊作を見た。
「伊作っ聞いてくれ!」
「如何したの?」
母親が泣いて帰って来た子供に問い掛ける様な優しい口調で善法寺が尋ねると其の後ろに座り込んだ立花が怒涛の勢いで答えた。
「先程、廊下を歩いていたら三年の教室の中から声が聞こえて来て耳を欹てたら私の事を話しているじゃないか。何を言われているのだろう?と思ったら三年の奴等が立花先輩って頭良さそうに見えるよなぁ~って言っていたんだ!其れは何か?私は頭が良さそうに見えるだけで本当は頭良くないという事か?」
「おーよしよし。可哀想に」
善法寺に頭を撫で慰めると立花はわぁんと両手で顔を覆い大袈裟な泣き真似を始めた。
そして一頻り泣き真似をすると覆うのを止め此方へ視線を移した。
「何で鉢屋が此処に居るんだ?」
「保健室だからじゃない?」
「此処に居るなら怪我か病気か其の付き添いのどれかかと思いますけど?」
善法寺に続けて答えると不満気に立花が鼻を鳴らした。
「お前じゃなくて不破なら伊作と一緒になって此の傷心の私を慰めて呉れたのに」
「おや、私でも良ければ先輩の御心を慰めて差上げますよ」
「断る」
「此方こそ」
「……君達、仲好いね」
呆れた様子で善法寺は言うなり立ち上がり道具を片付け出す。
其れを何とは無しに眺めてながら三郎は詰まらなさそうに居る立花に声を掛けた。
「で、先輩の成績は好いんですか?」
「悪い。但し実技以外はな。実技は五より下に転落した事が無い」
「総体的に見ると上ですか?下ですか?」
「おい、お前に私の成績を言う必要は無いだろう。因みに真中より上だ」
「何、律儀に答えてるの」
腰を再び下ろしながら善法寺が苦笑する。
「仙蔵は火薬の配合や火器全般に関しては得意なんだけれど筆記試験は苦手だよね。後は面倒だからって毎回課題遣らずに居るし」
「未提出ですか?」
立花の顔へと視線を移し三郎が言うと立花は馬鹿言えと答えた。
「未提出なんて出来るか。課題は出来ている奴から奪えば好いだけだ」
「普通に写させて貰えば好いんじゃないんですか」
「鉢屋……毎回は無理なんだよ。況して仙蔵の一番近くに居る常に課題が完璧な男は写させる行為自体を好まないからさ」
首を横に振り善法寺が言う其の男とは恐らく潮江文次郎の事だろう。
確かにそう簡単には写させて呉れそうには思え無い。
「此間なんて仙蔵と小平太が出来上がった課題を奪い損なってさ、長次と文次郎が横に張り付いて課題を書き上げていたしね」
「あれはなぁ小平太が悪いんだ。長次が仕掛けた罠に嵌ったおかげで明け方まで掛かって課題を遣らされたんだぞ。お前、横に文次郎と長次が張り付いてみろ?気が滅入るぞ。私より成績の悪い小平太は唸りながら書いていたしな」
「はい、素朴な疑問」
片手を上げ言うと善法寺が、はい鉢屋君どうぞと促がした。
「わざわざ潮江さんや中在家さんのを狙うよりは善法寺さんのを写させて貰えば好いんじゃないんですか~」
「残念!其れは無理なんだよ、鉢屋」
「伊作の組と私の組では課題が出される日にずれがあるから無理」
「では諦めて御自分で課題を遣れば好いのでは」
「其処に出来ている課題を前に真白い自分の課題がある。此れから自分の課題を遣るよりは遥かに早く、写せば完成させられる。という現実にお前は奪わずにいられるか?」
「いられますね」
「詰っまらん男だな~」
「其れはどうも。じゃ、私は此れで失礼します」
三郎は立ち上がると開け放たれた侭になっている戸へ向かった。
「うん。気を付けてね。後、明後日辺りに包帯の交換するから又来て」
「はーい」
後ろから掛けられた言葉に返事をすると三郎は戸を閉め寮へと歩き出す。
下級生が何故立花仙蔵を頭が良さそうに見えると評したのか非常に気になった。
頭という表現よりは成績や勉強が正しそうだが、遠からず近からずといった処だろう。
「まあ、でも本人はあんまり気にしてないよな……」
躊躇せず後輩の質問に堂々と答える彼の態度を思い出し三郎は呟いた。
通り過ぎてから視界の隅に何だか見慣れない物体が混入されていた事実に気付き、小平太は足を止めるとくるりと反転し寮の縁側へと引き返した。
「仙蔵、赤ん坊なんて何時産んだんだよ!」
縁側に腰掛け産着に包まれた赤子の頬を突付いている立花仙蔵に走り寄りながら声を掛けると仙蔵は顔を上げ、至極真面目な顔で答えた。
「つい先刻。伊作が産んだ」
「え、僕が産んだの?……じゃあ、仙蔵の妻の伊作です」
仙蔵の隣で赤子を抱き抱えている善法寺伊作が続けて言うと仙蔵が声を上げた。
「夫婦なのか?」
「違うの?」
「……………。夫の仙蔵です」
「へー。で、御夫婦、子供の名前は何て言うんですか?」
小平太の質問に二人は顔を見合わせるとぼそぼそと小声で
「此れは…雄か?雌か?」
「知らないよ、僕」
「名前……」
「何か適当に仇名付けときなよ」
と話し合いをすると仙蔵は軽く唸り此方に目を向けた。
小平太は仙蔵の視線に嫌な予感を覚えた。
「小平太と言います」
「……俺の名前を勝手に赤ん坊に付けんな」
「あーあ、駄目だよ小平太。そんなに涎垂らしちゃあ…」
「そうだぞ。ほら、此処まで這いずって来い、小平太」
ぱんぱんと手を叩く音に床に置かれた赤子は反応し小平太が想像していたよりも速く仙蔵の傍に這って行き、太股に手を付くと楽しげに笑った。
「あはは、笑ってる」
「ははは、登って来たら如何したら好いんだ?」
「さー?乳飲み子の扱いなんて知らないよ、僕」
赤子は小さい手を仙蔵の太股に力強く置きはしはしと横断すると縁側の端に腰掛けていた小平太の方へと向かって来た。小平太は思わず腰を浮かすと縁側から一歩離れた。
何処へ行くと仙蔵が赤子の衣を掴み自分の方へと方向転換させる。
小平太が安堵の息を漏らすと伊作が笑みを浮かべ言った。
「小平太、赤ん坊恐いの?」
其の言葉に仙蔵も此方を見たので小平太はまさかと笑い飛ばした。
「恐いわけないだろ。たかが赤ん坊だぜ?」
しかし、恐かった。
赤子に触れた事も間近で見た事も今迄無かったのだ。
全くの未知の生物を如何扱って好いのか見当も付かないので対応に困っていた。
「ふぅーん。じゃあ、抱いて上げなよ。折角の機会だし」
「なっ!じょ、冗談じゃない!」
慌てて返した言葉に気付いたが既に時は遅く仙蔵と伊作は満面の笑みを湛えている。
如何して俺は自分で自分の足を引張るんだろう……?
ぼんやりと反省していると伊作が立ち上がり赤子を持ち上げた。
脇の下に手を入れられた赤子は宙に浮いた状態で伊作が動くと大きく身体が揺れた。
「ほら!抱いて上げなよ」
伊作が此方に一歩近付くので小平太は一歩後退した。
「来るな」
「何で?」
じりじりと伊作が赤子を持った侭迫るので小平太は中庭を歩き回る羽目になった。
「止めろって!おい、伊作!」
「抱くぐらい出来なくて如何するんだい?ほらほら」
「其の内出来る様になるから好いんだよ」
「其れなら今から馴らしておけば?小平太も抱いて欲しいよねぇ?」
「俺の名前で赤ん坊を呼ぶなっ」
突然、赤ん坊の顔が大きく歪んだかと思うと火が点いた様に激しく泣き出した。
「あらら、小平太のせいで泣いちゃったよ」
「俺じゃなくてお前のせいだろ。あやして泣き止ませろよ」
伊作は泣いている赤子の顔を自分の方に向けると首を傾げ優しく一言言った。
「泣き止んで?」
「泣き止むか!」
小平太の言葉に伊作はむっとした様子で口を尖らせた。
「さっきも言っただろ?僕は乳飲み子の扱いなんて知らないんだよ。大体今日初めて抱いたんだから分かるわけもない」
赤子は顔を真っ赤にして大きな声で未だ泣き止む気配すら見せない。
「凄い声だな……」
仙蔵も傍に来ると厭きれた顔で赤子を覗き込んだ。
三人で耳に鳴響く赤子の泣き声に黙って耐えながら途方に暮れていると聞き慣れた声がした。
「おい、何だよ此れ。猫が盛っているのか?」
助けが来たとばかりに小平太は其の名を期待を込め、呼んだ。
「文次郎!」
作法委員の仕事は他の委員に比べて格段に少ないと言える。
学園長の思い付きで開催される合戦等が無ければ至って閑だ。
委員会召集が掛けられたとしても何処よりも早く終了する。
普段何をしてるの?と問われば週二回備品の確認ぐらいと答える他は無い。
そして、其の確認は主に一年生が担当させられる。
「下っ端だからって偶には二年が遣れよなー」
「全く……何で私達ばかりに押し付けるんだか。ろ組は?」
「日射病に罹って今日は休むって」
棚の陳列物の数を目で確認すると兵太夫は手元の紙に数を記した。
自分の真後ろで同じ作業をする伝七が嘆息を吐く。
「……弱いな、ろ組は。自己管理ぐらいしとけ」
「いや、もう其れは無理でしょ。だって、ろ組だもん」
「そうだなぁ。兵太夫こっち後二段で終わるけど、そっちは?」
「もう終り。今日の監督生って誰だっけ?」
「綾部喜八郎」
「じゃ、呼んで来るよ。其の間に終らしておいて」
「分かった」
兵太夫は引戸を開けると廊下に出た。
途端に涼しい部屋に比べて暑い空気が蝉の声をと共に押し寄せて来る。
夏だなぁと思いながら兵太夫は少し離れた所にある部屋に向かった。
其処は委員会の時に使用される部屋で普段は空き部屋らしい。
棚の確認を終えた後は監督の役目にある上級生が改めて棚の陳列物を確認して数が合っていたら確認の判を押して貰う。其れから委員長に其の紙を届け委員長から顧問の教師へと手渡される。
流れ作業だ。
目の先に見える其の部屋の戸から足が二本廊下に出ている。
近寄ると四年の綾部喜八郎が床に大の字になって昼寝をしていた。其の横には脱ぎ捨てた紫の上衣がある。
「先輩、起きて下さーい」
取敢えず声を掛けてみたが当然反応は無い。
気持ち良さそうに眠っている喜八郎の傍に屈むと兵太夫は先程よりも大きい声で名前を呼んだ。
「綾部喜八郎先輩っ!起きて下さいよっ」
「うっ………んん?」
ぎゅうと瞼を強く瞑ると喜八郎は漸く目を開けた。
何度か瞬きを繰り返すと此方の顔を見詰めた。
「兵、太夫?」
「はい。そうですよ。委員の仕事終わったんで確認して下さい」
「……ああ、そうね。今日は僕が当番だったね」
欠伸をしながら起き上がると喜八郎は上着を掴み廊下を歩き出す。
……先輩、上着引き摺ってます。
心の中で先行く喜八郎の背に言葉を掛けながら兵太夫は後を追った。
部屋に戻ると喜八郎は伝七と兵太夫の書き記した紙を見終え、ぼんやりとした様子で棚を一瞥すると上着の袂を弄り判を押した。
兵太夫は伝七と目が合ったが互いに何も言わなかった。
本当は監督生も棚の一段一段を自分で確認しなければならない。
真面目な生徒は其れを行うが中には確認せずに判を押す者もいる。が、遊び盛りの一年生にとっては通常授業より早く終える夏に長々と委員会の仕事で遊ぶ時間を少なくされては堪らない。
だから何も言わないで素知らぬ顔でこうして判を貰うのだ。
「閑でしょ?」
「え?あ、はい!……って、ええ?」
喜八郎から手渡される際に唐突に言葉を掛けられ兵太夫が咄嗟に返事をすると横に居た伝七が小声で馬鹿だなと呟いた。
「さ、委員長の処に行くから兵太夫は付いておいで~」
「………………はい」
「じゃあ、私は先に失礼しまーす」
「はい、御疲れ」
戸を閉めながら喜八郎が返すと伝七が勝ち誇った様な顔で此方を見た。
伝七の口が動き間抜けと言ったのだと分かり兵太夫はべえと舌を突出した。
「兵太夫、行くよ」
「はーい」
気付くと既に喜八郎は廊下の先へと移動していた。
慌てて返事をして駆けながら不図後ろに目を向けると髪を揺らしながら伝七が一年寮へと帰って行くのが見えた。
喜八郎に連れられて訪れた六年寮は何だか臭かった。
所謂「男臭」というやつだ。
日々過ごしている一年寮に比べると臭いの度合いが既に違う。
其れでも慣れとは恐ろしいもので最初に感じた臭さが段々と薄れている。
前を進んでいた喜八郎が行き止まりにある部屋で足を止めると首を傾げた。
何か?と尋ねるより早く喜八郎が参ったねと呟き障子戸を断りも無く開けた。鼻先に御香の好い匂いが掠めたので横から部屋を覗き込むと誰も居なかった。
「此処に来いって自分で指定しておいて何処に行ったんだか…如何しようね、兵太夫?此の侭、僕が立花先輩の筆記を真似て先生に提出しとこうかしら」
此方に同意を求める様に言う喜八郎に如何返せば良いものか思案に暮れると頭の上から声が降って来た。
「作法委員じゃないか?仙蔵を探しているのか」
全く気配も足音もしなかったので兵太夫は一瞬大きく身を竦めた。
声は会計委員長の潮江文次郎だった。
「委員長の判が必要なんですが……知ってますか?」
流石は四年生というべきか。自分とは反対に動じもせず喜八郎が自分の後ろに立っている潮江文次郎に委員長の所在を尋ねた。
すると潮江文次郎は目線を暫く彷徨った後にぽつりと答えた。
「今日の天候から考えられる場所が一つある」
「何処ですか?」
「………言うより直接連れて行った方が好いだろう。来い」
そんな面倒臭い場所に居るなら此処で帰りたいなぁ。
ちらりと兵太夫は喜八郎の顔色を伺ったが何の反応も無かった。
仕方無く同行する事にした。

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